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靴下の繕いから見えてきたこと

1/20/2020

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小学生の頃、ツギを当てた靴下を履くのが恥ずかしかった。当時の靴下は今より糸の強度が劣っていたのか、すぐに穴があいた。
 三人姉妹の長女なのに、なぜか親戚からのおさがりが多かった。おさがりの洋服は、母が袖や裾丈を直して子どもたちに着せていた。
 裕福な家ではなかったし、専業主婦の母が倹約するのも無理はない。ふだんの洗濯はお風呂の残り湯で手洗いしていたし、ティッシュの使い方にもうるさかった。

 そんな母を見て育ったからか、背伸びしたい年頃になると、古いものを捨てて新しいものを買うことに喜びを見出すようになった。
 手間暇かけて補修しなくても、安く買えるものは巷に溢れている。時は金なり。繕う時間があれば、別のことをしたい。ゴミの処理はゴミ収集車に任せておけばいい。

 いま思えば、若い頃のわたしは、とくに自分で生活費を稼ぐようになってからは、大量生産大量消費の波にすっぽりのまれていた。ファッション雑誌を読み、流行を追いかけていた。時代の先端にの空気を感じたかった。

 ひとり住まいから二人暮らしになり、家族が四人になり、子育てに余裕が出てきたころ、ようやく消費社会に疑問を持つようになった。
 その後、わたし自身が手作り品を販売するようになってからは、ものの値段やお金の価値について考えるようになった。

 ものを作り出すには時間も手間もかかる。アイディアを考える時間も制作過程の一環だ。
 一つのものが、どんな思いや工程を経て生まれ、どのように使われ、廃棄されるのか。メーカーでも個人でも、生産者はそのプロセスに責任を負わなければいけないと思う。環境に負荷をかけない素材やプロセスを選択していくと、価格はどうしても上がってしまう。
 作り手のわたしは、そのプロセスも含めて認められたいと思うし、消費者のわたしは、そのプロセスにお金を払いたいと思う。

 年齢と経験を重ねることで、人は変化(成長?)するものだ。
 最近のわたしは、靴下の繕いにはまっている。補修しながら、いいものを大事に使うという行為が楽しい。しかもカラフルな糸で補修した靴下は新品のときよりも愛着がわく。
 これが一過性のマイブームに終わらなければいいなと思う(ひとごとみたいですが・・・)

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    grulian's journal

    ぐるりのかかわりをシンプルに、ひっそり世界とつながりながら暮らしたい。
    模索する日々のできごと、胸のうちを気の向くままに。
    タイトルの「手考足迷」は河井寛次郎の「手考足思」に敬意を表して。

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